「僕は夢を見ることを忘れた小鳥なのです」と云ってホーホケキョと鳴いた。院長が露骨に厭そうな貌をした。精神科でのこういう振る舞いは我ながらお勧めできない。
こんな人間が過去に対人恐怖症を患っていたなど云っても誰も信じてはくれまい。いや、先般のキャバクラでのアルバイトで久しぶりに「生きてるらしい」人間を相手にした時、異様な緊張感を覚えたので未だ完治してはいないのだと思う。僕がふだん相手にしているのは、認知症老人か、寝たきりの老人か、死体だ。「看取り」の施設なので死体を相手にすることもあるのである。死体運びとかね。運悪く職場でそこそこの地位にいるので、そういう汚れ仕事の中でも最悪に近い汚れ仕事もさせられるのである。こういうことやってるから精神疾患なのか、精神疾患だからこういう仕事しかできないのか、今では分からなくなってしまった。
僕は職場へ出勤する前にコンビニへ寄ってサンドイッチとコーヒー、それから煙草のハイライトを買う。休憩中の食事用だ。もう三年も懇意にしているので店員の方でも僕の顔を覚えている。
先般、普段通りそのコンビニに寄ったところ気狂い男がいた。店員に向かって「お、お、お、おれを舐めるなよ、お、おっ」と絶叫しながら不審な挙動を繰り広げていた。僕はあまりの光景に呆気にとられて殴るのも忘れていた。いずれにしろ勤務前だから殴れないが。勤務後で酒が入っていたらおぞましいことになっていたろうと思う。
対人恐怖症だった僕が平気で暴力を振るうようになったのは何が契機だったろう。僕は中学・高校時代に「コミュニケーション」だの「言語学」だの「意思の伝達」だのといったテーマの文学書や哲学書を読み漁った。
なぜ自分の話は相手に通じないのか。その疑問が僕の精神を貫いていた。たぶん余人には理解し辛い話だと思うが、僕にとっては喫緊の問題だった。僕には生来の発達障害の性質があり、昔から舌足らずで口下手で鈍くさかった。要するに日本人の癖に日本語が下手という事だ。
本当に幼少期からこういう気分だった。世間から脅迫されている気がした。
誰にも自分の話を理解させることが出来ないという事は、死ぬほど孤独と云う事だ。僕が文学に「ハマった」理由はこの辺にある。それから十年たった。十年間、コツコツと研鑽を重ねた訳だ。結果どうなったか? いまではもう二十七歳だし、孤独には慣れているし、自分の言葉を相手に理解させることは諦めた。言葉は無力だ。その結果の「暴力」だった。どうせ何を云っても無駄、そういう確信があった。鬱病者は少なからず暴力的である。それが僕の暴力性に拍車をかける。云っても分からない奴は殴って解決! それが僕のソリューションだった。
すぐ物に当たりたくなるタイプ。直情的というかなんというか……
僕は普段から訳の分からない事をしていると友人・同僚から云われる。しかし上記のような筋道を辿ると、意外と道理は通っているのである(少なくとも僕の中では)。
まあ、これも理解してはもらえないだろうが。
でも言語性の発達障碍者でも、十年くらい本を読み続ければこの程度の文章は書けるという事だ。人生、やはり何事も努力だね。