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『合法小説』 第二話 「末路」 推敲4

「詩人であることはとても簡単だ。
しかし人間であることは
とてもむずかしい。」
―――チャールズ・ブコウスキー『ブコウスキー詩集 指がちょっと血を流し始めるまでパーカッション楽器のように酔っ払ったピアノを弾け』


本を自費出版するにしても色々な種類や価格設定があるらしい。キチンとした製本をするとそれなりの値段がする。他方、簡素な小冊子印刷だと安上がりなのだそうだ。


あのひとは何時になったら仕事を覚えてくれるんですかねぇ、とサワダさんが言うので「永久に無理だろ」と答えた。「ああいう人間は居ない方がいい。世界が平和になる」
介護歴十年超のベテラン、という鳴り物入りで入職してきた【自称詩人】にはじめ皆が期待を寄せたが、仕事を始めて直ぐに無能が暴露された。排泄介助をやらせる→失禁させる。食事介助をさせる→誤嚥させる。皿を洗わせる→割る→そして割れた皿を隠す。介護士ではなくただの大馬鹿野郎であることが露見した。先日はとうとう夜勤中のミスで入居者を死亡させたが、一向に反省している様子が伺えない。
先日こんな事があった。
彼が私に一冊の冊子を渡してきた。薄青い表紙に、産まれ損なった馬の絵が描かれている。彼のペンネームは、俺がここへ書きつけるには――この、五十絡みの男やもめが名乗るには――余りに痛々しいネーミングセンスなので差し控える。冊子をひっくり返すがバーコードの類は見当たらない。
「僕が書いた詩集なんです。自費出版しました」と【自称詩人】。「ヤスタカさんが小説を読むと聞いたので。一冊さしあげます。ぜひ感想を聞かせて下さい」俺の中でこの男は大馬鹿野郎から自称詩人の自称介護士に格下げされた。
そう言われてみれば前々からかような凶兆はあった。仕事の最中にベラベラと文学と文学者の話ばかりして俺と入居老人たちを退屈の極みへ落とし込んでいた。
へまな仕事しか出来ないような人間だから詩など書いているのか、或はその「藝術」とやらにうつつを抜かしているから仕事が出来ないのか。一個のファンタジーの塊である。仕事が出来ない人間が地球上で棲息する事を否定している訳ではない。ただそういう自称介護士が自分の周囲に居て欲しくないだけだ。
介護士は他人の命を預かっているのである。一応、そういう事になっている。【自称詩人】にはその自覚が欠片も無いようだ。彼は、アーチスト志望者はメンタルが土砂崩れを起こしたようなクソッタレの馬鹿ばかりという俺の偏見を再確認させてくれる。芸術は屑と馬鹿と精神薄弱者のための「お慰め玩具」だと再認識させてくれる。俺はそれで落胆したか? いいや全く。何故なら俺は誰も俺を愛していない事を知っているし、俺も俺を愛していなかった。
【自称詩人】はまた今後も、糞の役にも立たない詩を書いて仕事を疎かにするのだろう。それは構わないがどこか別の職場でやりやがれ。現実が見えていない奴の作品に如何ほどの価値があるんだ? 気骨のない人間に気骨のある文章など書けるのか? こんなものを持て囃すのはいかなる人種なのか。


何も書かなくて済むならばそれが一番結構だと思った。
文章は僅かでも真面目に書こうと思ったら何時間か空費する。そんな暇があるなら介護福祉士の勉強でもしろ馬鹿垂れが。
それでも、一抹の希望――何がしか金になるかも知れないという勘違い、閉塞した人生に風穴を開けるにはこれしかないという無邪気な思い込み――が俺にキーボードを打鍵させる。無論、すべて幻想幻覚の類である。金が欲しいだけならば他の途が幾らもあるのではないか。
頭の中の空想妄想の産物を文章に表すなどと云う行為は非常に病的である。家人から神経病者を見る眼で見られながらこれを書いている俺は、非常によろしくない精神状態である。正気の沙汰ではない。
それが問題なのである。正気の沙汰ではないのである。俺は。こうまで自分で否定しておいて未だ書いているのだから。俺は人生を棒に振ったのだ。その自己意識が俺の精神を破砕する。正気の沙汰ではないのである。誰も俺の言葉を読まないし、聞かないし、理解しようなどとはつゆとも思わない。それでいい。俺はこの世すべてを煙に巻いて死ぬだけだ。もう放っておいてくれ。


彼、ことM氏を紹介してもらった経緯は省略する。
M氏は若くして余命幾ばくもない癌であると宣告されていた。僕よりも若く二十五歳手前だった。両親から、今後は好きなように生きることを薦められていたが彼は淡々と仕事をし、読書に励んだ。今どき珍しいほどの文学青年だった。書生、という言葉がしっくりくる程の。
彼の読書量は恐らく僕の百倍くらいあったと思う。小説というのは、たいていの人は(そして僕も)、目当ての物を一、二冊買う。しかし彼は気に入った、あるいは気になった小説家の全集を丸ごと購入して読むという、なかなか類例を見ない読書法を確立していた。僕はこの読み方に哀しさを覚えた。彼には残された時間が無かったのだと、その読み方から知らされた。全集とは、云わば過去に死んだ作者の遺した文章のすべてである。彼がその中の何に縋っていたのか、今はもう知る術もないが。
一族の恥晒し

ヤスタカ

Author:ヤスタカ
1987(昭和62)年生れ。東京都練馬区在住。介護業務に従事する傍ら、脳細胞が腐敗するような愚文を執筆。現在は脳のリハビリ中。最近、何故か介護福祉士になった。この国は亡ぶ。

黒歴史